「重森三玲庭園美術館」へ
14時からの予約で「重森三玲庭園美術館」のお庭、書院と茶室の見学へ。
モードな雰囲気漂う重森三玲の作風は、東福寺の方丈庭園を観てからすっかり好きになりました。
重森三玲邸は吉田神社の社家として名高い鈴鹿家の所有だったものを、昭和18年(1943)に東福寺方丈庭園などの作庭で知られる、庭園家(作庭家、庭園史研究家)の重森三玲が譲り受けた屋敷です。
今回は普段からファッションやカルチャーなど美的感覚が似ている友人との旅ということもあり、重森三玲の庭を一緒に観に行きたいな〜と、今回の旅に組み込みました。
「京都の定番観光コース」というよりは、「ちょっと渋めの観光の穴場」な雰囲気を感じる庭園でした。
書院の天井にはイサムノグチから贈られたという和紙の照明。
モダン…!
私達の足元。今回とある理由でドレスコードが「青や白」となっております。その理由は後ほど…。
茶室、いよいよ…どきどきわくわく。
思っていたよりもこじんまりとした空間、照明も今でも通用するモダンさ。ふすまに手をかける部分に作者の名前がデザインされたモチーフなど、見所がありました。
それにしてもこのふすまの市松模様のさざ波のデザイン、モダンで可愛い!
茶室から書院の眺め。
作家の説明の中で三怜の長女の名前は由郷(ユーゴー)とつけられ、ヴィクトワルユーゴーから来ているというお話がありました。ということは…と、ちょっとwikipediaを見てみると書いてありました。
子供たちに名前をつける時にもヨーロッパの偉人に因み、長男には完途(カント)、二男には弘淹(コーエン)、長女には由郷(ユーゴー)、三男には埶氐(ゲーテ)、四男には貝崙(バイロン)と命名したが、長男の完途は父三玲の西洋趣味に反発し、自らの子供には古事記や万葉集に由来する日本風の名前をつけた。wikipediaより引用させて頂きました
ちなみに「三玲」は芸名だそうで、フランスの画家・ミレーにちなんで名づけられたそうです。
この名前の話は面白いですね。昭和の時代でこの発想なかなか斬新です。
西洋への憧れが庭や茶室にモダンな作風が影響し、見事にリンクしているな〜と思いました。
お庭を横から見た図。横から見ると石が薄いのです!
みんないっせいに撮る、を後ろから撮る…笑
「重森三玲庭園美術館」とっても素敵な場所なのでお勧めしたいです。ここはリピートしてもいいくらい、何か落ち着くしセンスが良いしで満足度高め。